妄想おじさん ~ 第三部 リ・ボーン編 ~

しばらく見ないと思ったら。。。。妄想おじさんが帰ってきました!

私、こう見えて「実は口下手なのかも」しれない。
       ~第三部 リ・ボーン編~
 

41歳の夏を終えようとしているおじさんは、徹夜作業明けの早朝にうとうとしながら、なぜか昔の自分を思い出していた。

あれ?今日は思い出せないぞ。
思いのほか、疲れているのかな。
そんなに都合がいい脳ではないってことか。
ブログが続かないので、ちゃんと振り返ってみるか…
たしか、前回の走馬灯は、二十歳あたりの話になってたなぁ。

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幼少期に、武士道、宗教、良心、正義などを曲解し、
言葉をはじめ、自分の中の衝動の芽を分析し自ら摘む癖(へき)が発生。
成長するにつれそれが悪化した結果は、心が動かない、楽しめない、共感できない。

知識によってつくられた仮面によって外面(そとづら)だけは意外にも社会適合性を発揮しアクティブに活動していた。

一転、ソファーだけの自室に戻れば、言葉がない、
テレビも、ラジオも、音楽プレーヤーもないので、そもそも音がない。

内面と外面が大きく乖離していた時期だ。それが思春期というものなのか。

そんな中、ひょんなきっかけでバイクを手に入れた。
アルバイト先の会社の専務がバイク中毒で、なかば強引に免許を取得、初めてのバイクも準備された。

小学生時代に学級新聞の編集長をしていた時、記者をひき連れて自動車ディーラーに突撃するほどの車派だった。
それも今思えば、ガソリンスタンドの主任をしていた父親の影響なのだが。
乳児期に夜泣きして深夜のドライブに行くと泣き止んだというような洗脳を施されていた記憶がある。

バイクで感情が動いた。
走り続けなければ自立できない不完全な乗り物。
孤独で言葉がいらない乗り物。
家電を片っ端から分解し、コンセントも分解し感電事故を起こし、ドライバーを没収されるほどメカ好きだった私には、
エンジンの動作が股間から感じ取れる構造も心地よかった。

研ぎ澄ませば、バンドルを握る掌、ステップ足の裏、シートに尻、車体に触れているところ全てから、
タイヤのスリップ感、チェーンの張り、たくさんの情報が入力される。
過去、後方にいた自分のことを考える。
現状との差分を分析する。
未来、前方にいるであろう無数の自分のことを考える。
それを処理し、操作という行動に変え、進んでいく。

書くと仰々しくなるが、誰でも無意識に行っていることだ。
それを意識的に脳に再入力することで落ち着いた。
バイクに乗って膨大な量の情報処理をしているときは、頭の中に住んでいるダメだししてくる奴が消える。
いや、正確にいうと、「例の癖」は発生しているのだが、バイクの運転操作は停止することを許さない。

アクセルさえ開けば、進んで、目的地に到着する。
そんな当たり前のことに没頭し、時間さえあれば走り出すようになっていた。

自分を縛るヤツから解放してくれるマシンを手に入れた。
生まれ変わった気分だった。

アルバイトの掛け持ちで、ただでさえ少なかった睡眠時間をバイクに当てるようになり、予備校にはほとんど行かなくなる。

~~~~~~~~~

今回はここらへんで、

しかし面白くない文章がつづきますね。
某萬月氏もたしか、
セックスかバイオレンスを連載中に一回は織り交ぜないとエンターテイメントにならないと
いってたことだし、
次回から実践しようかなぁ…

次回、同棲編!

第二部からチョッと時間がありましたね
もう一度チェックされたい方は↓コチラから
※第二部 浪人編はこちら
※第一部 誕生編はこちら
第四部もお楽しみに( ^^) 
 
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